なぜ自分はあれほどまでに熱を帯びてしまったのか? 今でも、自分でも解せない。
かつて同じ高校に通っていた涼木魁流を目の前にして、慎二は、自分でも理解ができないほどの饒舌ぶりを披露してしまった。
帰り際に囁かれた言葉が、今も耳に木霊する。
「霞流さん、カッコ良かったですよ」
嬉しそうに口元を緩める美鶴の顔を見下ろし、慎二は怒りで目の前が真っ暗になるのを感じた。
違う。俺は違う。
心内でそう断言するのが精一杯だった。
俺は違う。俺はこんな人間ではない。こんな、諭すような言葉を誰かに吐くなんて、そんな真似など俺はしない。しないはずだ。
いや、俺は別に涼木に何かを諭したかったワケじゃない。ただ俺は、織笠鈴がいかに卑怯で卑劣な人間であったかという事を言いたかっただけで。
言いたかった?
絶句する。
言いたかった? なぜ?
なぜだ? なぜ今更そんな事を? 言ってどうする? 言ってどうなると言うのだ? 女が浅はかで低俗な生き物であるという事実には何も変わりはないというのに。
変わりはない?
変わりがないから、だから自分の思いを口にしても無駄だと言うのか?
なら、変われるのなら?
「ハートのエースに変えてみせます」
変われるのなら、意味があると言うのか?
嘘だっ!
強く否定する。
そんな事があるワケが無い。そうだ、俺が再び女と向かい合う事など、そんな事は絶対に無いんだ。女も、世間も、俺を裏切った。騙した。蔑んだ。だから俺も騙してやる。
そうだ。女など、世間など、所詮はその程度の存在にすぎないんだ。そのはずなのに。
嬉しそうに口元を緩める美鶴の笑顔。
霞流慎二はやはり優しい男性なのだ。きっと頑張れば昔のように戻ってくれる。
そんな期待を胸に大きく抱いたような表情だった。
そんな事はあり得ない。なのにどうしてっ!
なぜだ? どうしてだ? どうして俺は、あんな場所であんなにも無様に興奮などしてしまったのだ? 世間に背を向けたはずの俺が。
すべてはアイツだ。そもそもはアイツが原因なんだ。アイツが涼木魁流の居場所を知りたいなどと言い出したから、だから俺は涼木に呼び出されるハメになった。
アイツがすべての元凶だ。
噛み締めた唇が、ピリッと痺れる。
ハートのエースだと? 冗談じゃない。そんなモノは俺が踏み潰してやる。ズタズタに切り裂いてやる。今まで打ちのめしてやった他の女性たちと同じように、アイツもまた、さんざんに弄んでやる。
そうだ、そうしてやる。俺に一時でも世間と対峙するような醜態を演じさせた、その罪は必ず償わせてやる。
「そういえば、先日、塁嗣が来ておったようじゃが」
祖父の声もろくに聞こえてはいない。
覚悟しろよ、大迫美鶴。
冷たく睨みつける視線に射抜かれるかのように、桜が一枚、ハラリと散った。
「キレイね」
メリエムがガラス越しに眼下を見下ろしながらウットリと呟く。
「本や雑誌や写真では何度も見た事はあるけれど、やっぱり綺麗だわ。間近で見たら、もっと綺麗なんでしょうね」
「トンネルになっているところを歩くと素晴らしいよ」
背後で男性が優しく答える。いかにも中東人らしい豊かな髭が揺れる。
「ミシュアルは通った事あるの?」
「何が?」
「その、桜のトンネル」
振り返る黒人女性に、ミシュアルの瞳が艶やかに跳ねた。
「一度だけね」
「いいなぁ」
「仕事でだよ。混んでいるところを急ぎ足で通過しただけだからね。フウリュウなんて微塵もなかった」
「じゃあ、いきましょうよ」
メリエムは再び窓から見下ろす。
「あそこもトンネルになっているのでしょう?」
ホテルの窓から見えるのは、都内でも少しは有名な桜並木。
「歩いてみたいわ」
「ダメだよ。もう打ち合わせの時間だ」
残念そうなメリエムの声。そんな相手にミシュアルは苦笑し、腕時計を確認してソファーから立ち上がった。トウブの裾が揺れる。王族の証であるアラベスクの刺繍が足元を流れる。鏡で身形を整えながら、ふとその瞳を曇らせる。
「ルクマは、返事はしてきたのか?」
メリエムは桜から視線を外す。
「まだよ」
短く答える。その瞳には、直前までの陶酔したような感情は無い。
「本当にしぶといわ。往生際が悪いと言うか、諦めが悪いと言うか。とにかく何がなんでも断りたいみたい」
「そこまで嫌われたか」
「我侭なだけよ」
勢い良く振り返る。鏡越しに目が合う。
「そもそも、ルクマには断る権利なんて無いのよ」
「自分の意見を主張する権利はある」
「ミシュアルがそんなふうに甘やかすから付け上がるのよ」
腰に手を当て仁王立ち。鏡越しでも迫力は伝わる。
「とにかく、ルクマには承諾してもらうしかないわ。でないと」
そこで一度口を閉じ、視線を少し落とす。
「でないと、王位継承の話も進まない」
「ルクマを巻き込みたくはない」
さらに瞳を曇らせる心優しい男性に、メリエムは溜息が出そうになる。
気持ちはわからないでもないんだけどね。
愛する人と一緒になる事もできないまま、永遠に別れてしまったミシュアルと山脇初子。お別れの言葉を告げる事もできないまま、初子は荼毘に付されてしまった。
いつか、いつか必ず迎えに行く。
その想いだけを支えに公務をこなしてきたミシュアルには、だが悲しみに暮れている暇など無かった。
王族という職業は、傍から見るよりもずっと忙しい。一般庶民が夢に見るような優雅で呑気な時間などほとんど無い。それでも、いや、そんなに忙しい毎日だからこそ、愛する者の存在は大きい。
せめてルクマだけでも、この手で幸せにしてあげなければ。
だが、息子である瑠駆真は、彼に心を開かない。
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